世界の最長河川中心に探険中!探険家よっしいのブログ

探険、冒険大好き人間、世界の最長河川中心に探険中! 探険・冒険大好き人間 中でもアンデス・アマゾンに惹かれる。 好きな食べ物はラーメンとカレー 好きな音楽はラテン

2013年04月

 北京市の世界遺産は、7箇所あり、頣和園もその一つ。

 他の世界遺産は、万里の長城明の十三陵、承徳の避暑山荘と外八廟周口店の北京原人遺跡それに紫禁城天壇である。

 今回は機会が無かったが、周口店の北京原人遺跡一番行ってみたい場所(30万年前の世界に浸かってミタイヨ。)

 
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 頣和園は290万㎡の広さがあり、その4分の3は昆明湖である。
 【雲南省の省都昆明にも通称「昆明湖」(正式名称はてん池)と呼ばれる湖があるが、関係はあるのかな?】

 やはり零下10度の世界での風景となり昆明湖は完全結氷しており観光客は自由に氷上を行き来する。

 さすがに氷に穴を開けて釣りをしている人はいなかった。
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昆明湖の北端に、昆明湖を掘った土で造った万寿山があり、その中腹には、庭園の中心的な建物である仏香閣がそびえている。

 周囲に回廊をめぐらし、8角形の三層建、高さは41mある。

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西太后はを頣和園を隠居の場所として選び、主に春から秋まで、ここで過ごした。
  この仁寿門を抜けると、西太后の世界が広がる。

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 北京市の地図です。

 上の黒丸が
万里の長城(八達嶺)、下の大きな黒丸が、北京市の中心故宮(紫禁城)です。
 指示棒のオレンジの先が頣和園の位置です。 
  
 バスから降りて、彪さん(ピンクのコート)を先頭にツアー客一行は、頣和園へ向かう。

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 冬枯れの街路樹、自転車で市内を行く労働者風の男、北京に来た実感を感ずる。
 (やはり寒い、零下10度以下の世界です。)
 
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 頣和園の入り口風景。
 
 頣和園は、清の時代の、二人の清の国の存在そのものに非常に影響力のあった人物が作った庭園。一人は、清の乾隆帝(第6代の清の皇帝)、もう一人は西太后である。

 頣和園は乾隆帝が母親の60歳を祝って、母親の好んだ江南の杭州の風景を庭にしたもの。

 アヘン戦争で徹底的に破壊され西太后が再建し、頣和園と名づけた。
 頣養太和の略で、調和を養うというほどの意味。

 寒さに震えながらの頣和園(いわえん)散策の始まりです。

 万里の長城を制覇した後、ツアー客一行は北京市の郊外にある七宝焼きの工房へ。
 
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 ここで、職人さんたちの名人芸を見学した。
 ほとんど手作りなので、値段もかなりなものになる。

 この工房の隣には大きな七宝焼きの売店があり名のある職人の芸術作品も数多く展示されていた。
(ただ、写真撮影は禁止されていた。)
 そして、工房の二階で昼食ということに。
 
 食事は飲茶

 お茶を飲みながら点心を食べることを飲茶(ヤムチャという。
 点心とは中華料理の一つで、菜(中華料理の主菜)湯(中華スープ以外のものを言う。
 主菜以外の軽い食事を意味し、本来は、お菓子屋間食程度のもの。

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 ところが、日本に入ると飲茶の意味は、点心料理をお腹いっぱい食べることに変わる。(日本人ツアー客は、お腹いっぱい食べ、ビールもけっこう飲んだ。)
 余談だが朝鮮半島では点心(チョムシム)とは粥麺類を心とした軽い食事のこと、昼食には点心が好れる。
 実際、朝鮮語では昼食のことを「チョムシム」(점심)というが、これは「点心」の鮮語読みである。
 点心の意味は朝鮮半島の方が、正しく伝えている

 満腹後、ツアー客一行はフカひれスープにもチャレンジ。
 
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 右下が噂のフカひれスープ

 特に美味しいって程ではないがやはり、話の種として食べておきたい一品。
 (夕食には北京ダックが出る予定、楽しみダヨ)

 万里の長城は今回の旅では異色の場所。
 ここの気温は零下15度~17度。
 
 事前に長城を検索して、ある程度の知識はあったがそれが、まったく役に立たなかった。

 誤算だったのは、予備デジカメの電池をホテルに置いてきたことと、バスの中に常用デジカメを置き忘れてきたこと。
 結局、万里の長城の写真は、携帯での撮影となった。

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 女坂をある程度登ったとこから男坂方面を振り返った写真。

 長城の右手が牧畜民族の土地、長城の左手が中国の土地である。
 
 牧畜民族は、幾度も長城を超え、中華の国を脅かした。

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 女坂の急坂を登る。

 この辺の風速は、常時20mを超えていた。
 手摺りにシッカリ掴まってないと長城外に吹き飛ばされそうだった。
 気温は、零下17~18度とのこと。
 
 快晴なのに、北京の自然は厳しい。
 
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 この地点で、長城踏破記念メダル商売のおじさんから作ってもらった。
 100元だった。(日本円で1400円程)

 長城の左手が牧畜民族の土地、長城の右手が中国の土地である。

 デジカメ2台が使用できず、携帯での写真となった割にはまともに撮れてました。

 エピソード

 冗談で、積雪が凄かったら万里の長城からスキーで滑ってやろうかと日本で思っていたが長城の積雪は、まったくありませんでした。
 少し拍子抜けしました。

 台中の富王大飯店で2日目となった。
 富王大飯店は台湾中部の台中市の中心に位置し、141の客室を持ち、古い歴史を持つ大きな建物で、今はビジネスホテルとして活躍している
二つ星ホテルである。




 5段階評価の下から2番目なので、去年の10月に宿泊した韓国旅行のホテルとは随分設備や接遇が違っていた。
格安ツアーなので、致し方のないところであるが、ただ、このホテルはやたら混み合っていた。

 阪急交通社企画の団体も数団体入っていて、これが台湾旅行で唯一にして最大級ともいえるトラブルを引き起こす原因となったのだが、そのことはもう少しあとで触れたい。




 朝早くから出発するツアーがいると見え、6時半頃にはホテルのロビーには旅行用スーツケースが並んでいた。
朝食は6時半から出来るということで、バイキング式の食事行列に並んだ。



 日程や時差等の関係で、いつもの調子も出ず、適当に並んでいるバイキング料理を選び、空いている席に座って、朝食となった。




 この中では、じゃがいもが美味かったが、あとは惰性で胃の中に流し込んだ。

 実は今年は3月初めから強烈な鼻炎症状に襲われていて、新潟に居るときは仕事に差し支えるので、内科医が出す程度の薬を毎晩寝る前に服用していた。
 その薬は持っては来ていたが、朝の様子で新潟程花粉などが飛散してないようなので、飲まないことにしていた。

 その代わりとして、必要は無いと思ったが念のためこの旅の間中、鼻炎対策用を兼ねて、朝食後にバス旅行用トラベルミンを飲むこととした。

 結果として、不快な気分になる事もなく少々眠かった程度で、台湾を一周するバスの旅は、気分爽快とまではいかなくても快適と言える旅となった。




 僕らのツアーの参加者達も、三々五々食堂に集まり、台湾で最初の食事をとっていた。
窓の外は小雨交じりの天候で、幸先の悪いスタートとなった。

 この天候に輪を掛けたのが、台湾旅行で唯一にして最大級ともいえるトラブルの発生で、どうやら先ほど飲んだトラベルミンの効果が早速現れた結果なのかなと、後になって考えているが、起こったものは仕方がない。

 阪急交通社のツアーが複数入っていることを記したが、その他にも沢山のツアーが入っていて、玄関ロビーは大混雑だった。
僕は午前7時半にはロビーに居て、出発時間までぶらぶらしていた。

 その段階で、僕らのツアーメンバーの顔を漫然としか覚えていなかったのがそもそもの原因なのだが、近くの方に阪急交通社のバッジを見せ、荷物の置き場所を聞いて、何の疑いもなしにそこに置いた。

 その荷物の置き場所のツアーガイド葉さん(男性)率いる非常に元気の良い午前7時40分出発のツアーがバスに乗り込み始めたので、僕も昨日は女のガイドだったのにおかしいなと思いながらも、行列初めの方の流れに乗り、スーツケースを入れ、バスにまで乗ってしまった。




 ここで不幸中の幸いというか、運が良かったことに、ツアーガイド葉さん(男性)が人数点検をしてくれ、一人多いと騒ぎ出し、2回ほど人数確認を始めた。

 誰のことだろうと気にもとめないでいたら、「新潟出発の方、間違って乗っていませんか?」と言った。

 僕は東京出発のツアーに紛れ込んでしまっていたのだ。

 恥かしいのを通り越し、気が動転したまま急いでバスを降りた。
バスからスーツケースを降ろす僕をしかめっ面で睨みつけている運転手とツアーガイド葉さん(男性)の視線を感じながら、一番奥の方に置いてあったスーツケースを何とか取り出し、日本語と英語で謝り続けながら、大急ぎでその場を去った。

 何事も無かったかのように、今度はしっかり確認の上、王さん(女性)のガイドのツアー客の中に紛れ込んだ。

 幸先の悪い台湾紀行2日目のスタートとなった。

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