台中に来ている。台湾紀行2日目となっているが、その台中での最初の見学場所は宝覚寺である。
ここで、台中と宝覚寺を簡単に説明する。
台中は台湾中部の中心都市で、18世紀初め頃に大量の漢民族が移住し都市を形成した経緯がある。1884年には台湾省府が台中に置かれたようであるが、間もなく台北に移された。
宝覚寺は1928年に建立されており、30メートルもある巨大な弥勒大仏像(布袋様)で有名な寺院で、また寺院境内には戦前台湾中部で亡くなった日本人移民や戦没者の遺骨が安置されている。
それでは最初の見学場所へスタートである。宿泊した富王大飯店から宝覚寺までの道順を赤い線で示すとこうなる。
20分まで掛からないで宝覚寺に到着、小雨の中、傘をさしての見学となった。宝覚寺の門をくぐると大きな建物があり、その中に小さな寺院が収まっている。
その建物の前で、阪急交通社の委託を受けてこの旅行のガイドを出している台湾の金品旅行社の専属ガイドの王さん(派手な旗を持っているピンクの邪の半袖の人)が、綺麗な日本語で、早速ガイドを開始した。中の小さな寺院は日本時代からあったもので、その外側の大きな建物は7〜8年前に建てられたものとのこと。
お寺の中には、宝覚禅寺のご本尊の釈迦像が鎮座している。 寺院の入口の正面に左右2体の像の石像が置かれているが、象は聖なる平和の象徴だとのこと。
そして、宝覚寺観光の目玉となるのがこの黄金色に輝く巨大な弥勒大仏像で、弥勒大仏とは七福神の布袋さんのことである。黄金色のにこやかな大仏の大きさは、高さが約30m、台湾では2番目の大きさだという。王ガイドによれば、この大仏の耳を触ると幸福が訪れ、へそに触ると「へそくり」が増え金持ちになるという。実際にこの巨大な大仏にふれることは出来ず、近くに置いてある小さなレプリカがその代用をするとのこと。
またこのお寺は日本人と関係のある寺で、戦前、台湾中部で亡くなった一万四千人の日本人移民の遺骨が奉納されているといわれ、境内には日本人墓地もあるとのこと。ガイドに案内された日本人戦没者の遺骨安置所で、思いがけない名を見かけ、司馬遼太郎の台湾紀行に書かれていた事柄を思い起こすことになった。
この日本人戦没者の遺骨安置所の前に建てられた慰霊碑「霊安故郷」の左に書かれた李登輝元台湾総統の名が、その思いがけない名であった。
ここで、台中と宝覚寺を簡単に説明する。
台中は台湾中部の中心都市で、18世紀初め頃に大量の漢民族が移住し都市を形成した経緯がある。1884年には台湾省府が台中に置かれたようであるが、間もなく台北に移された。
宝覚寺は1928年に建立されており、30メートルもある巨大な弥勒大仏像(布袋様)で有名な寺院で、また寺院境内には戦前台湾中部で亡くなった日本人移民や戦没者の遺骨が安置されている。
それでは最初の見学場所へスタートである。宿泊した富王大飯店から宝覚寺までの道順を赤い線で示すとこうなる。
http://sns.atgames.jp/cache/img/jpg/w415_h415/a_1919819_3bc9057bcea339fc7d6e10adaca57416a871c022_jpg.jpg
20分まで掛からないで宝覚寺に到着、小雨の中、傘をさしての見学となった。宝覚寺の門をくぐると大きな建物があり、その中に小さな寺院が収まっている。
http://sns.atgames.jp/cache/img/png/w415_h415/a_1919819_f283a175dbe0a8e0793c1755507b95b2dcf3eac6_png.png
その建物の前で、阪急交通社の委託を受けてこの旅行のガイドを出している台湾の金品旅行社の専属ガイドの王さん(派手な旗を持っているピンクの邪の半袖の人)が、綺麗な日本語で、早速ガイドを開始した。中の小さな寺院は日本時代からあったもので、その外側の大きな建物は7〜8年前に建てられたものとのこと。
お寺の中には、宝覚禅寺のご本尊の釈迦像が鎮座している。 寺院の入口の正面に左右2体の像の石像が置かれているが、象は聖なる平和の象徴だとのこと。
http://sns.atgames.jp/cache/img/png/w415_h415/a_1919819_e582f9b720d735f67441d075f8987e68f5d10f29_png.png
そして、宝覚寺観光の目玉となるのがこの黄金色に輝く巨大な弥勒大仏像で、弥勒大仏とは七福神の布袋さんのことである。黄金色のにこやかな大仏の大きさは、高さが約30m、台湾では2番目の大きさだという。王ガイドによれば、この大仏の耳を触ると幸福が訪れ、へそに触ると「へそくり」が増え金持ちになるという。実際にこの巨大な大仏にふれることは出来ず、近くに置いてある小さなレプリカがその代用をするとのこと。
またこのお寺は日本人と関係のある寺で、戦前、台湾中部で亡くなった一万四千人の日本人移民の遺骨が奉納されているといわれ、境内には日本人墓地もあるとのこと。ガイドに案内された日本人戦没者の遺骨安置所で、思いがけない名を見かけ、司馬遼太郎の台湾紀行に書かれていた事柄を思い起こすことになった。
http://sns.atgames.jp/cache/img/jpg/w415_h415/a_1919819_8b3e2a92bbeca302c3ec11438b7a354aa7656326_jpg.jpg
この日本人戦没者の遺骨安置所の前に建てられた慰霊碑「霊安故郷」の左に書かれた李登輝元台湾総統の名が、その思いがけない名であった。