次に常楽寺に行った。

常楽寺は天台宗の寺院で、北向観音の本坊にあたる。

寺伝によれば、平安時代初期の825年に七久里の里と呼ばれていた別所温泉に観音菩薩が出現し、菩薩を安置するために円仁が開創したとされる。

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 常楽寺では蝉しぐれが出迎えてくれた。

「寺域は緑に包まれ、あたり一面に蝉しぐれが振り続けて、もうそれだけで十分である。」と、司馬さんは「街道をゆく 佐久平みち」で常楽寺を訪れた時のことを書いている。

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 常楽寺の説明看板があったので読んでみた。

別所温泉のある塩田荘は、塩田流北条氏により鎌倉仏教や禅宗文化が栄えたことで信州の学海と呼ばれようになり、常楽寺はその中核を担った。

また安楽寺や長楽寺とともに三楽寺と呼ばれていて、安楽寺の開祖樵谷惟仙は16歳まで当寺で天台宗の修行をしたというようなことが書かれていた。

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 既に35度を超えているだろう猛暑の中、両側の樹々の中から一層激しさを増して迫って来る蝉しぐれの階段を上がり切ると、目の前には整然と掃き清められた美しい庭を前景として、古格を帯びた常楽寺の本堂があった。

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 美しい庭に相応しい、実に手入れの行き届いたこの松は「御船の松」と言い樹齢は350年、高さこそ6m程だが、幅は10m程、長さは18m程もある。

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 神々しい金色の字で「常楽台寺」と書かれた本堂を拝観し、寺に居られた女の方に常楽寺美術館を見に来た旨を告げて、観覧料金の500円を払った。

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 ここが常楽寺美術館で、司馬さんはここを訪れたことを「街道をゆく 佐久平みち」の中で書いている。

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 この中には色々な収蔵物があるのだが、その中で司馬さんが特に見たかったものが徳川家康の書となる「日課念仏」である。

司馬さんは「写真は見たことはあるが、本物はむろんはじめてだった。」と書いている。

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 細字で南無阿弥という文字を、六段にびっしり書き込んでいる。

 終りの方に南無阿弥と書いてあとは陀仏と続けずに家康と書いてあり、そういう箇所が6ヵ所あった。

 家康の先祖は徳阿弥という時宗の聖で、全国を遊行するうちに三河の松平郷という山中に流れて松平家に身を寄せた。

 やがてこの家から家康が生まれた。

 家康は先祖と同じく念仏の徒であった。

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 常楽寺の気品の高さに感動しながら、蝉しぐれの寺を去った。