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カテゴリ: 北京の旅

 中国はかって、パンダ外交を展開し、それまで疎遠だった国々と友好を深めた。

 現在、
パンダはペアに付き1億円でレンタルされている。(それも1年間で1億円である。)

 中国人の子どもでも、パンダを見ることは滅多に出来ないという。

 
その宝物のような生き物に会ったのは、北京を出発する日の午前8時半頃


 この時間には、餌を食べるため、パンダが寝床から出ているだろうと、金妙珍は説明し、そのとおり実行した。

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 幸い
北京動物園はまだ入館者がまばら、金妙珍の計画変更は最後の最後まで、ことごとく成功した。

 僕らはこれから、宝物に会いに行く。

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 いました、いました。食事中の宝物(1年間で5千万)発見。

 現在日本には
3カ所パンダを見物できる施設がある。

 高いリース料を払ってまでパンダを借り受け、入園者数を伸ばしている
神戸の王子動物園は有名である。

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 ここにいるパンダの数は凄い。
 宝石の塊がごろごろしてるよ。

 パンダを中国以外で飼育している国は6カ国しかない。

 その中でも日本が一番多く、
6頭飼育している。

 韓国ではこの高いレンタル料を払えず、1999年にパンダを返還しているとか。

 韓国も、韓ドラやコーリアミュージックを日本へ輸出して、21世紀初頭の日韓の友好正常化に寄与した。

 パンダを見ていると、
ペ・ヨンジュンチェジュウソン・イェジンに見えてきた。

 
東アジアの隣国であり、実力国でもある韓国や中華人民共和国とは、これからも、いろんな意味で日本は上手に付き合っていかなければならない。

 そんなことを考えながら、僕のソウルと北京の旅は、無事終了した。

 天壇は皇帝が天を祀る場所であるが、北京にはこの他、地の神を祀る地壇太陽神を祀る日壇月の神を祀る月壇があり、それぞれ今は公園となって大勢の市民の憩いの場となっている。

 
紫禁城を囲んで、南に天壇、北に地壇、東に日壇、西に月壇の配置である。

 明清の皇帝達は、季節毎の祭儀に、それぞれの神に動物の生け贄(イケニエ)などを捧げ、人々を支配する側の総大将として、中華の繁栄や農作物の豊作を祈念した。

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 長廊から祈念殿を見上げると、気分が高揚し、神聖な気分になる。

 天壇の中心的な建物は、祈念殿と円丘だが、今回は円丘は行かなかった。(少々、心残りではあった。)

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 祈念殿は、地をかたどった四角い敷地に、天をかたどった円形の建物を置いたもの。

 この建物は乾隆帝時代の建築を原型としているが、光緒帝時代(1889年)に消失し、再建されたもの。

 明清代の皇帝たちは、立春の日にここで動物達を生け贄として捧、天の神に五穀豊穣を願った。

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 祈念殿の中に入ると、中は吹き抜けで、四季を意味する4本の赤い柱が眼に入る。

 4本の柱の外側には12本の柱が立っており、これは12カ月を意味している。

 祈念殿は、民衆を支配する皇帝の儀式のために造られた特別の建物であり、民衆とはかけ離れた、むしろ神に近い権力を持った特権的な者が、神の威光を受け民衆を支配するという構図を実体化させた建物でもあった。

 その皇帝たちのための建物が、今はいずれも公園となっている。

 金妙珍が終始バスの中で、「私達中国人は贅沢を求めているのではない。今の中国人は、生きることを楽しむために生きている。」と言っていた。

 それが中国人の現実なのだろう。

 
ようやく、生活を楽しむことが出来るようになったのだ。

 僕は田中角栄ではないが、日本と隣国の大国中国とはやはり友好的な姿勢をこれからも持ち続けて行ってもらいたいと願っている。 

 
中国大陸や朝鮮半島は、島国日本とは良いにしろ悪いにしろ、切っても切れない縁で繋がっている。

 胡同で話しを聞いた、ものやさしい考古学者の顔が、祈念殿から故宮を遠望した際に浮かんだ。

 それはすぐに、ここで憩うお年寄り達の顔に、重なり、消えて行った。

 天壇は故宮の南に造られている。
 
 「天壇へ行くには、出来れば晴天の朝がよい。
 人が少なくて印象が鮮明だからである。」
「北京‐都市の記憶」;岩波新書に書いたのは東アジア地域史専攻の作家「春名徹」氏である。

 今回の旅で、僕はこの
「北京‐都市の記憶」と、司馬遼太郎、陳舜臣、金達寿の共著「歴史の交差路にて」教科書参考書として持参した。

 実際のところ、現場の中国ではほとんど役にたたなかったが、日本に帰ってきて、写真という記憶媒体だけでは不確かな部分を、日記作成にあたり、この教科書で補った。

 春名氏は嵐の吹きぬけた11月の晴天の朝に天壇を訪問したが、僕らが訪問したのは、1月の晴天の日の午後3時を過ぎた頃だった。

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 僕らは東門から、今は公園となっている天壇へ入った。
 入る前から賑やかな音楽が聞こえ、入ってみるとその原因がわかった。

 ここは、既に職場を退職された年配の方々の遊びの場となっていた。

 踊りの輪が出来ており、地元中国の方々の他にも、飛び入り参加で踊っておられる方が沢山いた。

 金妙珍も早速踊りの輪の中に入って、プロ並の踊りを披露していた。

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 また、別のおじいさん達は、薄い金属を直径4cm位に切ったものを数枚重ね、底に丸いゴムをつけ、白い羽をつけたもので、けまり遊に興じていた。

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  さらに、天を祭る際に犠牲となる動物を準備する「宰牲亭」から天壇の中心となる祈念殿へ向かう途中の72廊坊では、美しいコーラスが響いていた。 

 今やこの天壇は、市民の憩いの場となっているのが 良く理解出来た。

 これから僕らが向かうところは、日中の共同声明が行われた場所。

 
金妙珍は熱狂的な田中角栄ファン
なので、ここへ案内しないことには自分のガイドとしてのプライドが無くなると考えていたのだろう。

 日本と中国は、日清戦争後不幸な歴史を持ったが、また再びこの共同声明以降、お互いの手を取り合い、現代史の中を進んで行くことになる。

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 ホテルの入り口には、僕らを歓迎するように、派手な造花が飾られ、僕らを歓待してくれた。

 日本中華人民共和国国交を回復するために1972年9月29日、中華人民共和国の北京で調印された日中共同声明

 日本側 からは、内閣総理大臣田中角栄 、外務大臣の大平正芳が出席。中華人民共和国側 からは国務院総理周恩来、外交部長姫鵬飛が出席した。


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 会場となったホテルのロビーはやはり立派で、日中友好の歴史をそのまま継続しているかのような凛とした雰囲気を感じた。

 この声明の要旨は、以下のとおりである。
日中国交正常化の実現
中華人民共和国を中国の唯一の合法的政府であると承認
③台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを日本は十分理解し、尊重する。
中華人民共和国政府は日中両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する
⑤日本と中華人民共和国は主権、領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政相互不干渉、恒久的な平和友好関係を確立する。
⑥日中間のすべての紛争については平和的に解決し、武力又は武力による威嚇に訴えない。
⑦日中両国はアジア・太平洋地域において覇権を求めない。覇権を確立しようとする他のいかなる国や集団に反対する。
日中平和友好条約の締結を目指す

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 玄関前に置かれた飾り物の、飛天?の女性の姿が、金妙珍の姿にダブり、日中の不幸な歴史の解消のために, かいがいしく働く天使のように見えた。

 
 その後、日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約が1978年8月12日日本東京で日本国と中華人民共和国との間で締結された。

 
金権問題で失脚した田中角栄のライバルの福田赳夫政権下でのことで、内容は基本的に日中共同声明の文面を踏襲したものとなっている。

 主権・領土の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉が記述されているのが特徴。

中国側は賠償金請求を放棄する代わりに、日本側からODA等の巨額な経済援助を引き出し、飛躍的なその後の経済成長に繋げることになった。

 
 ここで、問題です。

 日中共同声明が執り行われたこのホテルの名は、なんというホテルでしょうか。

 
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 北京には様々な胡同があるが、北京一の繁華街に面して金魚胡同という愉快な名称の街がある。

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 覗いてみたかったが、ガイドはそこへは案内してくれなかった。

 これから僕らが向かうのは、北京一の繁華街王府井大街」である。
 
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 王府井大街は新興の盛り場で、東安市場の繁盛とともに急速に発展した。

 流行に敏感でオシャレで気取ったところもあり、東京で言えば、
銀座に似ている

 真冬の昼下がりだが、土曜日なので人通りも多く、少し野暮ったい服装を除いては、東京風景といくらも変わらないようだが・・・・。(中国人の平均生活レベルは、日本より20~30年ほど確実に遅れている。)

 ただ、日本人よりずっと明るい印象なのは、これから成長して行く国民の勢いというものなのだろう。

 今年度中に、GDPでも、日本は中国に先陣を譲ることになる。

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 しばらく行くと、王府井小吃街という軽食の店屋を集めた一角がある。

 妙に懐かしく、それこそ金魚胡同とか縁日胡同とか銘々してもいいような、東京の下町を思い出す店が連なる。

 ここには、串焼きの羊肉焼いた羊肉を薄く削いだもの、イカの串焼や、驚くことにはサソリの串焼などもあった。

 僕は羊の串焼きを頼んだが、10元だったと記憶している。日本円で140円ほど。

 春の陽が差した様な、小さな幸せの味がした。

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