世界の最長河川中心に探険中!探険家よっしいのブログ

探険、冒険大好き人間、世界の最長河川中心に探険中! 探険・冒険大好き人間 中でもアンデス・アマゾンに惹かれる。 好きな食べ物はラーメンとカレー 好きな音楽はラテン

カテゴリ: 探険家列伝第1部

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 マナウスはアマゾン河口より1500キロ上流にあるアマゾナス州の州都である。このあたりでもアマゾンの河幅は10kmもある。

 地形的には、アマゾン本流のソリモンエス川と、最大の支流であるネグロ川の合流部北側に立地し、170万以上の人口を抱える、巨大都市である。

 1900年前後をピークとする未曾有の生ゴム景気の時代、一攫千金をねらう人々の欲望が渦巻くマナウスは、魔都と呼ばれた
 
 19世紀の後半、一人のイギリス人がジャングルの中にゴムの木を発見した(金鉱の発見に近い感覚)。
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                                  ゴムの木からゴムの汁を採取しているところ ↑

 それが発端で、マナウスには常軌を逸したほとんどパニックに近いゴムブームが起こった。1890年代半ばから1910年くらいまでの間、この町に、けた外れのゴム成金が輩出した。

 あり余るかねの使い道も成金趣味と言われるもので、彼らは生活上の嗜好品や贅沢品はすべて、ヨーロッパから輸入した。

 ゴム長者の奥さん方は、そのシルクのドレスや下着のクリーニングを、パリでやらせたというはなしが残っている。

 その象徴がオペラハウス「アマゾナス劇場」である。(魔都の夢の跡です。)
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                                                   アマゾナス劇場です。 ↑

 彼らは金にまかせてマナウスを、熱帯のパリにしようとこころみ、すべての資材をヨーロッパから輸入して、アマゾンのジャングルの真っ只中の町に、ヨーロッパの贅沢を建設し、快楽に浸った。

  僕は、アマゾナス劇場の見学を終えるとゆるやかな坂道を下って、小さな映画館に入った。そこではゴム長者の栄華を題材にした鬼才ヴェルナー・ヘルツォーク監督「フイッツカラルド」を上映中だった。
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                                               夜のアマゾナス劇場です。 ↑

 最高の状況設定の中で、1900年頃のアマゾンの栄華の物語を、魔都と呼ばれたマナウスの昔を、ゴム成金達を偲びながら数時間堪能した。


 マナウスは南緯3度に位置し、熱帯雨林気候特有の湿度が災いして、息苦しい感じの町である。

 田中光二著書「アマゾン漂流」の中で、この町の印象を、「熱湿の町、臭いの町」という言い方で表現している。

 アマゾンのジャングルのあちこちから食い詰めた農民たちがマナウスを目指してやって来る。そういう人たちを集めて、ファベイラ(貧民街)が成立する。
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                                               典型的なマナウスの貧民街 ↑

 どぶのようによどんだクリークの岸辺に、木切れやトタンやダンボール等利用できるものはなんでも利用した掘っ立て小屋が、びっしりと隙間も無いほどに建てられている。

 僕は、このファベイラ(貧民街)を歩きながら、本当の意味での、「熱湿の町、臭いの町」を味わった。

 垣根涼介「ワイルド ソウル」という小説には、希望を胸にアマゾンのマナウスから小船に乗り継ぎ、ジャプラ川の奥地のクロノイチという入植地で生活した12家族50人の地獄のような日々が描かれている。

 この50人のうち生き残ったのは、自分以外は全員死亡した3家族の、当時大人だった1人と子どもだった2人の計3人だけだった。

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                                                            ワイルド ソウル 上巻 ↑

 四季温和な風土で育った日本人が生きていくには、アマゾンはあまりに過酷で凶暴。

 「
ワイルドソウル」と同じような目に遭ったアマゾン入植者も、ファベイラ(貧民街)に流れ込んで来る

 最下層民として生きている元日本人入植者達に幸い有れ!と強く願った。


 マナウスほど、富裕層と貧困層の差が極端なところは珍しいが、この河の流域は多かれ少なかれ、似たり寄ったりである。

 ただ、
彼らは貧しくても底抜けに明るい。彼らの本性がアマゾン河のように野生的で逞しいからなのだろうか。(元日本人入植者達も、彼らと同じようにならなければ、たぶんここでは生き残れない・・・・・)

 そして、今回の釣りである。


 マナウスではツクナレ釣りが有名だが、既にサンタレンで釣り上げているので、僕は対象となる魚を大ナマズとした。それも魚体が黄金に輝く、ドラード(ゴールドキャット)を選んだ。
 
 開高健ドラドという全身が黄金色の鮭そっくりの「河の虎」と呼ばれている魚を釣り上げたが、この魚はアルゼンチンのパラナ川やパラグアイのパラグアイ川に生息しているので、ここでは釣れない。
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                                           開高健の釣り上げた、ドラドです。↑

 ドラード釣りの漁師の船に乗り、僕はコカコーラのような色で流れるネグロ川を下った。

 そのネグロ川とカフェオーレ色のソリモンエス川の合流点へ来ると、船頭は頭から川へ飛び込んで僕にも飛び込むように勧める。

 僕も衣類を脱ぎ捨て、船頭に続いて、コカコーラとカフェオーレの混じったれに飛び込んでしばらく泳いだ。
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                                             こんな感じの流れが続く。 ↑

 さて、これからだ、ドラード釣りは。

 本流を100kmほど下り、ドラード釣りのポイントへ出た。

 ドラード釣りはツクナレの切り身を使って、水深80mほどの底に近いところに生息するドラードを釣り上げる。大きさはマンサイズである。

 しかし、今回は残念ながら、この化け物は、僕らの手には落ちなかった。

 代わりに、船頭が以前釣り上げたピライーバの大物の写真を見せてくれた。
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                    ピライーバはアマゾンの大ナマズの中でも最大のシロモノである。↑

 アマゾンの流れは雄大で、まるで巨大ナマズのような魔都の夕焼けがまぶしかった。
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 ここでマナウス物知りクイズです。
 間違っているものが一つありますが、その番号を答えてください。読後感想もよろしくです!!
 ① 南緯:3度 06分 西経:60度 01分。アマゾン河の河口から約1500kmの内陸部にありなが    ら、海抜はわずか93mに過ぎない。
 ② 住民の内訳
    混血(約63.93%)、白人(31.88%)、黒人(2.43%)、その他(0.87%)、日系人はおよそ2万人  ③ マナウスの名前は、アマゾン地域に居住していたマナオス族が由来とされている。
    イヨイヨ次回は、ペルーに入ります。またイキトスで会いましょう。

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画像を小さくして、グレートジャーニーのテーマソング、「カンバセーションピース」を聞きながら読むと気分がでます。

カテヨさんは立ち止まり、地面の下を示した。
そこには、カバや象やキリンなど実に沢山の動物達の足跡が残っていた。
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ここにはモンキーの足跡が残っていた。
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360万年前、近くのサディマン火山が大噴火を起こし、大量の火山灰を降らせた。
その後雨が降り、火山灰がセメント状になった時、動物たちがここを通り、沢山の足跡が残った。
そしてアファール猿人もここを通った。
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関野はここから、カテヨさんと別れ、単独でアファール猿人の足跡を目指す。
 
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そして、2002年2月10日、午前9時29分最終ゴール到着。
アファール猿人の足跡は、保存を目的とした石組みで覆われている。
足掛け10年、南米最南端を出発しておよそ53000kmを関野は歩き抜いた。
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この石組みの下には家族と思われる3人のアファール猿人の足跡があり、真っ直ぐ北へ向かって続いている。
「多分本当の悦びってのは明日になったり明後日になったりして、じわじわとこれから感じていくのだろう、僕は感じるのが遅いんですよ。」と関野はここに座って語った。
そして、こんなことを語っていく。
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「本当に大切なことは当たり前の事じゃないかと。それは空気だったり大地だったり水だったり、家族だったり、仲間だったり、地域社会だったり、好きなところに住めるとか、仲間や家族と一緒に居られるとか、そういうことが一番大切なことだということを、今回の旅で改めて確認した。」
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そして、ゴールで座っている関野の元に、一人娘からのFAXが届く。
そこには、「お父さん ゴールおめでとう」、そう書かれていた。

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ゴールまで20kmを切った。
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関野は10年の旅のいろんなシーンや出会った人たちなどを思い浮かべながら、サバンナの道を走っていく。
関野は最後の一晩をコンドレン病院という小さな病院に泊めてもらった。
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関野の話を聞いた病院の看護婦さんとシスターが、野の花を摘んで、関野の旅のゴール前の一日を祝ってくれた。
関野は最後の夜を、10年分の思い出と共に迎えていた。
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そして2月10日、旅のゴールを祝うかのように、豪快に朝日が昇る。
朝7時、いつものように、明るくなるのを待ちかねるように出発する。
ここからラエトリの足跡まであと15km、今日は自転車には乗らず歩いていく。
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レンジャーの護衛で最後の道を、今までずっと付き合ってくれた自転車を置き去りにする気にならず、一緒にゴールするつもりで、自転車を押しながら歩いて行く。
ラエトリに入った。
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関野は出迎えてくれたラエトリのアファール猿人の足跡を守っている遺跡警備員のサイモン・カテヨさんと硬い握手をする。
カテヨさんに、ゴールの足跡までの道を案内してもらう。
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カテヨさんの足が想像いじょうに早いので、関野は遅れないように急ぎ足でついて行く。
 

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オルドバイの平原を疾走する関野、そこには400万年前と変わらない野生の姿があった。
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関野を最初に出迎えたのはキリン達、悠然と草原の草を喰んでいる。
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自然保護区の中での自動車の走行は禁止されているが、今回関野のグレートジャーニーの旅に賛同したタンザニア政府の特別の計らいで、自転車での走行が許可された。
キリンの次はしま馬である。
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アフリカの大草原を自転車で走る関野、10年前は夢物語だったことが今現実となっている。
 
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関野は今、夢のただ中にいる。
関野と動物たちは、今不思議な距離感を保ちながら、同じサバンナにいた。
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関野の向こうを走っているのはヌーである。
 
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止まっているヌーたちは、不思議な生き物でも見るように関野をじっと見ていた。
 
 

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タンザニアのオルドバイ渓谷(ラエトリはこの南にある。)の入口に、オルドバイ博物館がある。
ここには関野が見たがっていたものがあった。
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アファール猿人の足跡である。
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正確に言えば、石膏で取った足型のコピーで、本物はラエトリのゴールに眠っている。ここには男と子どもと女の足跡と思われるものが同じ方向を向いて並んでいる。
この足跡に会うために、関野は10年のグレートジャーニーの旅を挙行し、今まさに感動のゴールの直前にいる。
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関野は足跡を自分の手で触り、これはお父さん、これは子どもかなと説明していく。
 
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その後ろの二つ並んだ足跡がお母さんかなと想像していく。
関野のストーリーの中では、ここの足跡群は家族なのである。
 

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